徳川家康と佃の深〜い絆
東京と大阪、2つの佃を結ぶもの
東京都民にとっての佃といえば、佃煮やリバーシティ21などで知られる中央区佃ですが、大阪にも佃があることはご存知でしょうか。実は、佃の元祖は大阪の佃。1590年に徳川家康の命を受けて摂津国佃(現:大阪市西淀川区佃)から江戸へと移り住んだ漁師たちが作った街、それが東京の佃です。では、一体なぜ徳川家康は大阪の佃から漁師たちを江戸へと移住させたのでしょうか。
佃誕生のきっかけは、本能寺の変にあり?
1582年6月2日未明、京都本能寺で織田信長は明智光秀のクーデター「本能寺の変」により倒されます。家康はこの時、信長への挨拶をかねた関西見物旅行の真っただ中。翌日に予定されていた本能寺での信長との会合を控え、堺に滞在していました。信長の死を知った家康は、堺からの脱出を試みます。しかし、一万五千以上いた明智勢の追っ手をかわしながらの脱出劇は水の手が多いこともあり苦難の連続でした。そんな時、家康に救いの手を差し伸べたのが、淀川の中州に本拠を置いていた摂津国佃村の漁師たちだったと言い伝えられています。彼らは摂津一体の水路や地理に明るく、家康は彼らの助けもあり、九死に一生を得て岡崎城に辿り着きました。
江戸の食卓を支えた佃
その後、家康は秀吉によりそれまでの所領を没収され、関東への移転を命じられます。家康は未開だった江戸の街づくりに励みますが、大きな課題となったのが急激に増えた人口に対する食料の確保です。当時の江戸湾には漁村は8箇所ほどしかなく、漁猟技術も乏しかったため、家康は家臣に命じ、摂津国佃村より漁師33名を江戸に移住させることで漁猟強化策を実施しました。
住吉神社にて、佃と家康の歴史に思いを馳せる。
佃に移り住んだ漁師たちと家康の深い関係は佃一丁目に佇む住吉神社で窺い知ることができす。家康の御霊が祀られたこの神社の水盤舎には、佃漁師たちの漁猟情景が彫り上げられています。本能寺の変における漁師たちと家康の物語は、確かな文献記録がないため、伝説の域を出ませんが、現在の美しい東京の礎となった歴史に思いを馳せることは、きっと佃エリアの魅力をますます奥深くしてくれることでしょう。