ポンピドゥー国立芸術文化センター。1977年に開館したフランスの国家プロジェクトで、ポンピドゥー大統領の名を冠する。
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現代建築の父 レンゾ・ピアノに学ぶ
「サステナブルな建築とは、人びとに愛され続けること」
2022.01.11
2021年に84歳を迎えた建築界の巨匠レンゾ・ピアノは、出世作ポンピドゥー国立芸術文化センター(仏・パリ・1977年。以下、ポンピドゥーセンター)で公共文化施設の新境地を切り拓きました。芸術を一部のエリートのための閉ざされた文化施設から解放する「人びとのための建築」は、どのようにして生まれたのか。そのプロセスには、サステナビリティの本質をとらえるための多くのヒントが隠されています。ポンピドゥーセンターで思想の土台を固め、以後人びとに愛され続ける建築を探究してきたレンゾ・ピアノの軌跡を、20年にわたりレンゾを支え共に働いた建築家 岡部憲明さんと、今もレンゾと働く石田俊二さんの解説でお伝えします。
レンゾ・ピアノ氏とともにポンピドゥーセンターの設計を手がけたリチャード・ロジャース氏が2021年12月18日にご逝去されました。謹んで哀悼の意を表します。
1978-79 年頃の岡部憲明氏 レンゾ・ピアノ氏 石田俊二氏
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1977/1/31、ポンピドゥーセンター開館当時のレンゾ・ピアノ氏とリチャード・ロジャース氏
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レンゾ・ピアノ 氏
1937年、ジェノバ(イタリア)の建設業者の家に生まれる。ミラノ工科大学在学中にフランコ・アルビニに師事。1970年、33歳でイギリス人建築家リチャード・ロジャースとともにPIANO+ROGERSを立ち上げる。国際コンペを勝ち抜きポンピドゥーセンターを完成させたのち、1977年に構造エンジニアのピーター・ライスと、石田俊二、岡部憲明と共にPIANO RICE ASSOCIATESを設立し、1981年まで協働する。
1981年に事務所「Renzo Piano Building Workshop」を設立。(パリ・ジェノバ・ニューヨークに事務所を構え、総勢150名のスタッフが働く。2021年1月現在)
今日に至るまでに個人および公共、大学美術館、コンサートホール、文化センターから研究所、医療施設、都市再開発計画、都市のランドマーク、国家プロジェクトなど世界地図に数多くの軌跡を残している。
【主な受賞・経歴】
RIBAゴールドメダル(ロンドン・1989年)・京都賞(京都・1990年)・高松宮殿下記念世界文化賞(東京・1994年)・プリツカー賞(ワシントン・1998年)・ユネスコ親善大使(1994年)・AIA ゴールドメダル (ワシントン・2008年)・2013年よりイタリア終身上院議員・2014年よりコロンビア大学名誉教授
歴史都市パリを刺激したポンピドゥーセンター
ポンピドゥーセンターはオープン当初、外観の斬新さから「まるで石油基地か宇宙船」と揶揄されたといいます。しかし、歴史都市パリの人びとに驚きをもって迎えられた建造物は1年間でルーブル美術館をしのぐ700万人の入館者を集めました。それから44年。ポンピドゥーセンターは人びとのための場でありつづけ、ノートルダム大聖堂と並ぶパリのランドマークとなっています。
レンゾ・ピアノは、雑誌の取材に「いかつい文化施設のイメージを破壊したかった。これは芸術と人間のこの上なく自由な関係の夢であり、同時にまた、街の息吹が感じられる場である」と語った。
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ポンピドゥー大統領が「五月革命(※)で傷ついた人びとの心を癒やすのは文化芸術だ」と構想したプロジェクトは、あらゆる面で解放的でした。高さの制限を取り払い、国際コンペで世界中の建築家に門戸を開き、開館時間は働く人びとも勤務後に行けるよう22時まで。図書館・美術館・映画館・音響音楽研究所・ホールや会議室が領域を超えて一つの建物に同居し、広場を介して街と一体化する。世界各国から681案が集まった競技設計の結果、選ばれたのがレンゾ・ピアノ+リチャード・ロジャース+ジャンフランコ・フランキーニのチームでした。実施設計、建設プロセスはトータル16カ国から20人余りの建築家が出入りする国際色豊かなチームで進められ、岡部憲明さんと石田俊二さんも重要な役割を担いました。また、OVE ARUP & PARTNERS (現ARUP)社がエンジニアリングの面で協働しました。
※1968年5月に学生たちの運動を中心にして起こった争乱。
岡部さんは、ポンピドゥーセンターを振り返って次のように語ります。
「建造物としての価値にとどまらない、あらゆる自由なことが行われるような場をパリの真ん中に構築したことの価値が大きいと考えます。開館から44年が経過してもまったく古くならず、図書館に来た人が美術や音楽に触れ、子どもたちへは教育が行われている。ポンピドゥーセンターは、石造りの歴史的建造物に閉じ込められた、エリートしかいかない美術館の対極にあります。すべての建築的な技術とデザインは、自然に人びとの足が向き、愛され続ける場所になるために仕掛けられました」
岡部さんの話す「建築的仕掛け」を4つのキーワードで紐解くと、構造から素材に至るまで、実に多くの工夫が施されたことがわかります。ダクトが外部に露出した斬新な外観にも、意図と必然性があったのです。
〈人びとに愛され続ける建築を紐解く 4つのキーワード〉
1)オープネス -開放性-
「これまでのように重く閉ざされた歴史的な建造物として威厳を示すのではなく、訪れる人にとってわかりやすく、都市に溶け込む、開いた空間にしようと努めました。象徴的なのは、広場側のエスカレーターや外部回廊からパリの街が眺望できることです。最上階にはパリの街を見下せるテラスのあるレストランも設けられています。内部には柱のない160m×50mの大空間をつくりました。外部にエスカレーター、エレベーター、外部回廊、ダクトなどが露出しているのはこのためで、展示や表現の自由度を支えています。これは、レンゾも含め20〜30代の若い建築家集団に、コンペ案の時点からエンジニアリングにARUP社のサポートが入っていたことが大きい」(岡部さん)
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高さ7mの自由空間。ポンピドゥーセンターの5階からは、パリの街を一望できる
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2)トランスペアレンシー -透明性、可視性-
「ポンピドゥーセンターの前には、建物と同じくらいの広さで建物と向かい合う広場があります。広場にいる人びとの視線はガラスを透過し、内部のフォーラム部分が見える。アプローチであるエスカレーターもむき出しでぶら下がっている。パリでは多くの人が図書館に行く習慣を持ちますが、図書館に来た人から美術館で何をしているかが見える。何をしているか見えるから誘われます」(岡部さん)
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建造物と広場の開かれた関係性が、ポンピドゥーセンターを象徴している。
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3)ヒューマニティ -人間性-
「建物が倒れないようにする構造技術と、人間が過ごす空間をより良くする環境技術を同等に重視してデザインと技術をまとめました。また、ピーター・ライスの提案により構造体に『見られる』ことを意識した素材を選んだことも特徴的です。柱や梁のジョイント部分の一部に鋳物(鋳鋼)を使い、柔らかい印象をつくりました。鋳物の柔らかさなどオーガニックなものが持っている触覚的な質感が、人間に心地良さを与えています」(岡部さん)
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ジョイントに使用した鋳鋼 ガーブレット
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鋳鋼を選んだのは構造エンジニアのピーター・ライス
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4)フレキシビリティ -柔軟性-
「ポンピドゥーセンターは、開館当時5階にあった映画館を数年後に地上階へ移す改修をしました。映画館は美術館が閉館する22時よりさらに遅く、24時まで開けていたので、5階にあると防犯上の負荷が高かったため、地上階に移しました。同時に、大きな重い作品を展示できるように、また若い作家たちの登竜門のようなスペースをつくろうと、美術館も地上階に拡張しました。各階にある柱のない160m×50mの大空間が、多様な活動に対応して変化したのです。その後も、美術館の改造、デジタル時代に合わせた図書館の改良、フォーラムの改良など、多くの計画が簡潔にできたのは、この建物が持つフレキシビリティによるものです。」(岡部さん)
フォーラムの床の開口部は、開館当初は今よりも広く取られていた。スペースを確保するため、開館後に編集された。
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こうして出来上がったポンピドゥーセンターは、44年がたとうとする今も人びとの多様で人間的な営みの舞台であり続け、森美術館(日・東京)やテートモダン(英・ロンドン)などの新しい文化施設にも影響を与えました。ポンピドゥー大統領が発案し、規制や古い価値観から解放された若い建築家のチームが創造と進化を尽くしてつくりあげた人びとのための建築は、大きな効果を現しています。
レンゾ・ピアノの信念「美しい建築は世界を変えられる」
ポンピドゥーセンターで人びとのための建築をつくりあげた後、レンゾはテレビ番組やワークショップを通して一般の人びとに「つくる」とはどんなことかを伝えることに尽力します。
また、フレキシビリティを極めた移動式パビリオンを手がけ、2年間で欧州30箇所を巡り、子どもたちにコンピューターテクノロジーに触れる場を提供しました。
© Gianni Berengo Gardin / RPBW at Paris 1984 May
© Gianni Berengo Gardin / RPBW at Paris 1984 May
© Gianni Berengo Gardin / RPBW at Paris 1984 May
© Gianni Berengo Gardin / RPBW at Paris 1984
© Gianni Berengo Gardin / RPBW at Amsterdam 1985 April
ドイツのボンではライン川の船の上に建設しました。
© Gianni Berengo Gardin / RPBW at Bonn Germany 1986
2000個のパーツに分解して13台のトレーラーで運べるように考案された移動式パビリオン。航空機の空調を参考にした設備を備え、40度からマイナス20度までの気候に対応した。時には川の上に浮かべることもあった。
パリ郊外のモンルージュ市に計画されたシュルンベルジェ社ビルでは、既存の工場地を再開発して、水と緑を囲むオフィスにつくり変えました。人と土地の自然との間に新しく美しい関係性を紡ぎ出したことで、そこに働く人びとの心に余裕と優しさが生まれました。
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レンゾは「工場も私たち人間の歴史なのだから、その土地を生き返らせ、長く使ってもらえるようにすることに意味がある」と、工場を取り囲んでいた建物は残して改装し、工場があった敷地に池と丘をつくった。庭園はランドスケープアーキテクトのアレクサンドル・シュメトフが担当。常に四季が感じられるよう、短い春と秋を少しでも長く感じられるように植栽計画がなされた。保存した既存の建物も、部分的に床を抜いて光を通し、階段やエレベーターを配置した。集会場、レストラン、カフェ、駐車場などのサービス施設はテントのある丘の下に隠されている。
岡部さんが最もレンゾらしいと話すメニル・コレクションは、プライベートな美術館のプロジェクトです。プロジェクトを担当した建築家は石田俊二さん。このプロジェクトでは、ポンピドゥーセンターでも活躍した構造エンジニアのピーター・ライスと、環境サービスエンジニアのトム・バーカーとが協働。構造体と空気設備が融和して自然光を操り、これまでにない方法で美術作品に光を当てました。レンゾは光について、「光の存在は重要です。明暗といった物理的な次元を超えて、その建築の態度をも表す」と言っています。
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「オーナーのドミニク・ド・メニル夫人は、自身のコレクションの見せ方について、はっきりとした意見をお持ちでした。『自然光で展示物を見たい。例えば雲が建物の上を流れていく時にそれが内部空間の中にいても感じられるようにアート作品を鑑賞したい』というリクエストが叶う空間にしました」(石田さん)
環境サービスエンジニアのトム・バーカーとレンゾ。構造形態を利用して、目には見えない空気の流れと自然光の関連性の重要性をプレゼンテーションしている。
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関西国際空港旅客ターミナルなど数え切れないほどの名建築を生み出し続けているレンゾ。
撮影:細川和昭 提供:NOAN
撮影:細川和昭 提供:NOAN
撮影:畑祥雄 提供:NOAN
1994年9月に完成、開港した関西空港国際ターミナル。国際コンペにてRPBW PARISが優勝し、設計責任者を岡部憲明さんが務めた。3枚目の写真は、ターミナルビル4階の中央部に位置する長さ1.7kmの国際線出発ロビー。大空間を滑らかに包む流線形の構造体が特徴的だ。ポンピドゥーセンターの空調システムを開発したトム・バーカーのアイデアで、天井に吊られた「オープンエアダクト」と名付けた白い膜の下面に空気を滑らせることで気流を制御し、片側から風を送ることで、大空間を快適に保つことに成功した。オープンエアダクトは照明の反射板にもなっており、やわらかい間接光が旅客を包む。
ニューヨーク・タイムズビルは、富と権威を象徴する重厚なマンハッタンのビル群の中、シンプルかつ、軽快にそびえ立ちます。
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52階建て+アンテナマストの超高層ビル。2000年、指名コンペでRPBWが優勝。ファサード(正面デザイン)にはオフホワイト色のセラミックロッド(丸棒)で窓の外面を覆うダブルスキンを採用した。外側のセラミックロッドはエネルギー効率の高いサンスクリーンとして機能するほか、街の光や刻々と変わる天候に応じて繊細に変化し、訪れる時間によってビルの色が違って見えるデザインが人々を魅了する。
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「ホールの観客席に座った時に、正面に中庭があって、その先にロビーが、そしてさらに道路を走るタクシーが見えるような透明性のあるパブリックな空間をつくりたいというのが我々の提案でした」(石田さん)
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ビル屋上、アンテナに登っているのは設計を担当したバーナード・プラットナー。ポンピドゥーセンター以降、現在も石田さん同様、RPBWフェローとしてレンゾを支えている。
・ジェノバ サン・ジョルジオ橋
2018年、イタリア・ジェノバ-サボナ間を結ぶ高速道路高架橋モランディ橋が崩落し、43人が犠牲になった事故の緊急復興に携わりました。地中海に面したジェノバは造船の街であり、レンゾの故郷です。再建されたサン・ジョルジオ橋は、歴史的に培われてきた造船技術を活用して船をつくるように鉄板を曲げてつくり、丸みのある下部の造形で風の抵抗を減らしました。レンゾは竣工時のスピーチで「この橋が日常生活の一部になり、デッキで戯れる地中海の光とともに、橋を渡る人や橋の下の公園を散歩する人の心を明るくする存在として愛されることを願っています」と語っています。
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レンゾは、「この橋は喪に服した悲劇から生まれた子だが、1,000人以上が力を結集した建設現場は私の人生のなかで最も美しいものだった」と、ジェノバの街と、そこに住むイタリア人の誇り、人びとの情熱溢れるエネルギーを称えた。石田さんもまた、「現場に行くと職人の一人ひとりが誇りを持って仕事をしていることを感じられる熱気のある現場でした」と振り返る。
すべてのプロジェクトに通底するのは、「美しい建築は世界を変えられる」という信念。レンゾは英国Royal Academy of Artsでのスピーチで次のように語っています。
「建築は、ひとときの見せ物ではなく使うもの。使われることで、人びとに提案せずとも人びとを変え、美の感情に特別なスイッチを入れ、世界を変える力がある」
これからの世界に、人びとに愛され続ける建築をつくるのは誰か
石田さんは、「レンゾは、自分が良い建物をつくったかどうか、人びとに愛され続けているかどうか、見に来ている人の目を見て判断する」と話します。
後に続く人びとは、どうすれば世界をより良くするようなものをつくっていけるのでしょうか?
「若い人たちには、先を読みながら、未知の世界を開拓していってほしい。そのために必要なのは、つくるものに対してポジティブに状況をみること。問題や制約に対して、自分で考えることに意味があると信じてアイデアを出す。それから、コミュニケーションの場を積極的につくること。さまざまなプロフェッショナルが集まり、新しい技術開発をしながら同時にどう使われるかを考えながら進めていったポンピドゥーセンターはそういうつくり方でこそ実現しました」(岡部さん)
石田さんもまた、「第二次世界大戦が終わった時に8歳だったレンゾは、昨日より今日、今日より明日の生活が良くなることを実感しながら育ちました。世の中は毎日良くなっていくという思考を根底に持っていたこと。レンゾと話せば、皆たちまち互いのバックグラウンドを超えて家族のように気持ちを通じ合わせ、ポジティブに世の中を見られるようになることは、レンゾとレンゾのチームの創造にとって、とても重要です」と未来への肯定から創造性を発揮することに共鳴します。
レンゾが、人びとに愛され続けるサステナブルな建築を生み出し続けてこられたのは、そのプロセスに、一人ひとりの自信や前向きさ、未来への希望と肯定を土台にした「共創」があったからなのかもしれません。
大和ハウス工業は2021年10月1日、地域に開かれた研修施設「みらい価値共創センター コトクリエ」を奈良県奈良市に開所しました。室町時代に身分を超えて多様な人が集まり議論をかわした「会所」を建物のコンセプトに据え、地域の人にも活用してもらう共創の場となることを目指した創意工夫がちりばめられています。「21世紀は風と太陽と水を事業テーマとすべき」という創業者 石橋信夫の言葉を掛け合わせたゾーニングを採用。中庭を通して人びとと空間がつながり交わる風のゾーン、上下の吹き抜けでダイナミックな賑わいを演出する太陽のゾーン、個室で静かに自分を向き合い再発見を促す水のゾーンで構成されています。
多様な人びとの利用を見据えてALLジェンダートイレや授乳室・祈祷室を完備。奈良県産の吉野杉をふんだんに使用し、迎賓室の家具は春日大社の境内で風倒木した杉であつらえるなど、地域とつながりも重視しました。建物内部だけでなく、レンゾ・ピアノさんや岡部さんが重視するランドスケープにも注力しており、国際認証 SITES®(ランドスケープの環境性能)を取得予定。LEED®(建物の環境性能)・WELL認証(人間の健康)と合わせた3つの国際認証に加え、BELS(ZEB-Ready省エネ性能)・JHEP(生物多様性)の認証取得を狙いました。
「世代を超えてあらゆる人が訪れ、ハッピーでポジティブになれる場所、共に価値を生み出す場所」として、“人びとに愛され続ける”公共性の高い場づくりへの挑戦が始まっています。
建設の前に行われた発掘調査で、平城京の住居跡などが発見された。採取した奈良時代の土を外壁材に使用し、土地の記憶を今に蘇らせている。
詳しくは、コトクリエ公式サイトをご覧ください。
・コトクリエ公式サイト