CREコラム
今さら聞けない「不動産証券化」(9)不動産証券化の歴史(3)
公開日:2017/09/25
J-REITの歴史をひも解く
不動産証券化の代表選手といえるのが、J-REIT(Jリート)。当連載第4回「Jリートとは何か」でも触れましたが、その経緯を詳しく見ていきましょう。 不動産証券化が登場する背景には、バブル崩壊後に銀行が抱えた不良債権の早期処理がありました。不良債権化した融資の多くは、土地や工場、ビル・マンションなどの不動産が銀行の担保になっていました。
銀行の不良債権問題が端緒
バブル崩壊が始まった年については諸説ありますが、1990年3月の大蔵省(当時)が出した「不動産融資の総量規制」という通達以降の1991年と見るのが妥当でしょう。
バブル景気に沸き立っていたころは、空前の土地開発ブームで、銀行は不動産さえあれば、法人個人問わず、かなりの融資が可能でした。このころ銀行は「住活ローン」を取り扱っていました。住宅を担保にした資金使途自由のカードローンです。住宅ローンの担保になっている持ち家を担保にしたこのローンは、銀行バブルの象徴でもありました。
土地を担保にした融資は、バブル崩壊による地価の下落で延滞や返済困難もしくは不能に陥り、不良債権化していきました。地価が下がれば担保に取った土地は売れず、銀行は貸し付けたお金の回収ができなくなります。そこで国は1993年、多くの銀行に出資を募り「共同債権買取機構」という組織を作ります。焦げ付いた貸出債権を機構に売却するのですが、買取価格と貸出債権額の差である売却損は、無税で損失処理できるメリットがありました。これにより、銀行が会計上不良債権を外に出して処理することになりました。
もうひとつの不良債権処理「住専」
いまでは忘れている人が多いかもしれませんが、住専問題も不良債権処理では最大の課題でした。住専は住宅金融専門会社の略。大手は7社あり、都市銀行や信託銀行、長期信用銀行、地方銀行、生命保険さらに農協と金融機関が競うように設立した会社です。出資者の銀行は、自前で個人の長期ローンである住宅融資を取り扱うのはリスクが大きいとして別会社を作ったのです。
住専は設立当初の1970年代、文字通り住宅ローンを取り扱っていました。ところが高度経済成長期、個人所得の伸びとともに持ち家需要が高まり、住専のローンも販売を拡大。これを見た銀行は、今度は自前で住宅ローンを取り扱うようになり、住専は土地開発に活路を見出すようになったのです。不動産開発一色になった住専はその後、バブル景気から崩壊を経て相次いで破たん、姿を消していきます。住専も銀行と同様、担保に取っていた土地が売れなかったので、1996年に住宅金融債権買取機構という組織が設立されます。
話はそれますが、最近問題になっている銀行のカードローンも、住専が成長期に入っていた時期に銀行が自前で始めたことがあります。1970年代、都市銀行や地方銀行は預金者に対してカードローンを進めていました。当時業績を伸ばしつつあった消費者金融会社の消費者ローンにあやかってです。ところが、貸したお金が順調に返済されないと回収する必要があり、取り立てに慣れていない銀行は徐々に市場から撤退しました。住宅ローンは、住専の業績拡大に意を強くして進出し成功しましたが、消費者ローンはなかなかうまくいきませんでした。その銀行で40年の時を経てカードローンが銀行の収益を支えるビジネスに成長しているのは、時代の移り変わりを感じます。
金融破たん阻止で全面的な支援策
金融界では1994年に不動産投資開発会社に巨額の不正融資をしていた2つの信用組合が破たんし、倒産処理のための銀行「東京共同銀行」ができます。これはその後、住専の不良債権処理組織である住宅金融債権買取機構と合併して整理回収機構になります。
銀行が担保に取っていた不動産のなかには売却がなかなか進まない物件もありました。そこで金融当局は1994年、銀行自身に競売できる子会社を設立できるよう支援しました。また、1999年には金銭債権の管理回収を行う専門業者の設立を認める「サービサー法」ができます。サービサー業者は、銀行から委託されて貸付債権の回収に当たります。簡単に言えば取り立て代理業です。サービサー業者は債務整理を行いますが、これは弁護士の固有業務であることから、サービサー会社には最低1人以上の弁護士を取締役に就けることが義務付けられ、最低資本金5億円以上という厳しい基準が設けられました。いわゆる反社会的勢力を排除するためです。
つまり、国は銀行が担保物件の売却を迅速に行えるよう取り計らい、不良債権化した融資でもシビアに回収できるよう支援したというわけです。至れり尽くせりのこうした政策は、金融システムの安定化のために止むを得ない措置、との判断でした。
売れない不動産を動かす「資産流動化法」
銀行の不良債権処理、住専の不良債権処理。90年代後半は不動産が塩漬けになり、景気低迷が長期化していました。その打開策として打ち出されたのが、不動産市場の活性化策です。盛んな売買が行われるよう、不動産を小口化し投資商品として販売する新たな担い手を育成するため、1995年に「不動産特定共同事業法」ができました。同法の施行で、不動産会社など不動産売買の専門家が投資家からの資産を運用し収益を分配する仕組みが整いました。1998年に「特定目的会社による特定資産の流動化に関する法律」、いわゆる資産流動化法(またはSPC法)が制定され、不動産証券化事業の骨格ができあがります。
2000年には「投信法」(投資信託及び投資法人に関する法律)が施行され、翌年に不動産の投資信託を解禁する法改正が行われ、J-REITが誕生することになります。
不動産証券化は、銀行の不良債権を早期処理する手段として始まりました。当初は銀行破たんを回避するため、不良債権化した貸付債権を帳簿から外したり、担保になっていた土地の保有を別の組織に付け替えたりと、多くの支援策が取られました。最大の支援策は公的資金の導入ですが、金を注ぎ込んだだけでは銀行の経営は元に戻りません。そこで編み出されたのが不動産証券化といえるでしょう。
今さら聞けない「不動産証券化」
- (1) 証券化は、こうして始まった
- (2) ABSは証券化の代表選手
- (3) 不動産証券化のメリットとデメリット
- (4) Jリートとはなにか?
- (5) 広がる証券化ビジネス
- (6) なぜ不動産証券化が登場したのか
- (7) 不動産証券化の歴史(1)
- (8) 不動産証券化の歴史(2)
- (9) 不動産証券化の歴史(3)
- (10)資金調達、運用、そして新しいビジネス
- (11)3つのタイプの不動産証券化
- (12)不動産証券化には、どのようなプレーヤーが存在するか
- (13)不動産証券化における資金調達
- (14)倒産隔離と真正売買
- (15)二重課税の回避
- (16)信用補完について
- (17)ノンリコースローンについて
- (18)デュー・デリジェンス
- (19)格付けについて
- (20)利益相反について
- (21)出口戦略について
- (22)セール・アンド・リースバックについて
- (23)不動産鑑定評価について
- (24)不動産証券化に「信託」が利用される理由