いつか絵本で見たかわいい家に憧れていた。まるで“おかしの家”のような、カントリーな雰囲気で優しさに溢れた、そんな家。
大人になるにつれてその理想は、あくまでも理想でしかないのだと思うようになっていたはずなのに、わたしは今、あの頃に描いた夢を叶えて絵本の中のような豊かな設いのある家に暮らしている。
その家の名前は「キャトル・セゾンが似合う家」。1968年に産声をあげたパリのインテリア雑貨店“キャトル・セゾン”とのコラボレーションによって誕生したこの家には、自然の温もりを感じる工夫が数多く存在する。
どこかカントリーな見た目でかわいさと住み心地とを兼ね備えたこの家は、おとぎ話の世界の中の住まいのようにも感じられる。夢のようで、夢ではなくて、この家でわたしは豊かにしあわせな暮らしを続けている。
幼い頃に夢見た理想の暮らし、それを実現できたこの住まいの魅力を伝えたい。
住まいの玄関は家の表情を物語る大切な場所だ。毎日出かけるときも、帰宅したときも家族を見守っている。そんな入り口がまとう雰囲気は暮らしの質を大きく左右すると思う。
「キャトル・セゾンが似合う家」の玄関は、決して目新しいものではないけれど、穏やかな雰囲気をまとった上質な空間だ。柔らかな光が入りこみ、気がついたら「ただいま」と言いたくなるような優しさがある。
木材の棚やシューズボックスの装飾も細かいところまでこだわり抜かれており、いつだか絵本で見た世界そのもの。収納力にも長けているので、暮らす上での実用性も高い。
今はお気に入りの植物や絵などを飾って、より居心地の良い空間にしている。自分たちの住まいだからこそ、愛するもので空間を埋め尽くす楽しみもある。
日々多くの時間を過ごすリビングは、住まいを選ぶ上でとても重要視したポイントだ。朝から穏やかな空気が流れるこの住まいのリビングならこれから始まる日々を豊かに暮らせそうだと思った。
「キャトル・セゾンが似合う家」は見た目こそこじんまりとしていて愛らしい雰囲気だが、実は空間自体はとても広々とした作り。梁あらわし天井を採用しているので窮屈感がなく開放的だ。
起きたての朝、うんと背伸びをするとその天井高に改めて驚いたり、なんてことも。空間にゆとりが生まれると、気持ちにもゆとりが生まれるような気がする。
家族が集う時間のほとんどをこのリビングで過ごすようになったけれど、どんなときも明るく朗らかな気持ちでいられるのは「キャトル・セゾンが似合う家」が持つ穏やかな雰囲気あってこそなのかもしれない。
広々としていて木材の質感をたっぷりと感じられるダイニングキッチン。初めて見たときに一目惚れしたポイントだ。「このキッチンなら料理がもっと楽しくなる」そう直感がわたしに語りかけた。
まるでカフェのようなかわいいキッチンに立つと、物語の主人公になったかのようで少し嬉しくなったりする。そんなシチュエーションが日常になったことがしあわせで、休日は家族と一緒にケーキやパンなどを作り、ダイニングで食卓を囲むのがルーティーンに。
毎日の料理のシーンは何気ない日々の一場面かもしれないが、そういうささやかな日々の積み重ねがしあわせな日常を作ってくれているのだと今なら改めて思う。
パリのインテリア雑貨店のエッセンスを含んだ「キャトル・セゾンが似合う家」にも、実は日本家屋らしく小上がりの和室空間がある。タタミスペースと呼ばれる小さな空間だ。
ここでは家族で本を読んで一息ついたり、ときには家事をしたりと過ごし方もいろいろ。使い勝手が良く、広すぎず窮屈すぎない空間だと感じる。
趣味の道具を置いたり緑を飾ったりと、インテリアの面でも楽しめるのが「キャトル・セゾンが似合う家」らしい和室の良いところ。加えて、お客様がいらしたときのもてなし空間にもできたりと、万能に活躍してくれるのも嬉しい点だ。
お気に入りのドレッサーのある住まいが、小さな頃から長い間抱いていた憧れだった。
毎日の身支度を行う空間なら、いつだって好きな自分でいるために、空間ごと愛していたいと思ったから。
そんな思いを抱き続けていたからか、この住まいの水回りを見たときに「ここで暮らしたい」と、そう強く思ったのだった。
さりげなく淡い色合いのタイルが敷き詰められた水回りは扉の木材ともマッチしていてカントリーな雰囲気がかわいい。
浴槽はシンプルなものの、比較的広めの作りなので窮屈感は感じない。
また、タオルやパジャマなどを収納できる棚もあり、ただ見た目がかわいいだけではないのがお気に入りのポイントだ。
「大きくなったらこんな家に住むんだ」と目を輝かせながら夢を語っていた、幼い頃のわたし。大人になり、あの頃の夢はいつだか叶わないものだと勝手に決めつけてしまっていたけれど、願った夢が現実になる日が訪れることはあるのだと今ならわかる。
なぜなら、「キャトル・セゾンが似合う家」と出会ったから。
この家と出会ったことで、私が抱いていた住まいへのイメージは随分と変化した。なにかを求める代わりに、なにかを諦めないといけない、なんて悲しいことは言わなくてもいいのかもしれない。
とっておきの夢を詰め込んだ理想の暮らしを描くこと。それこそが、未来に暮らす自分たちにとってのしあわせにも繋がっているのだから。