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全区画温泉付!霧島連山の麓でゆったり暮らす。温泉つきスローライフを楽しむ。
季節の変わり目が朝夕の空気で、夏のそれとは違う心地よさを感じさせてくれる季節です。そんな中、晩夏の滝を見に行きたくなって姶良市にある「龍門滝」へ行ってきました。 姶良市加治木町を下る網掛川にある高さ46メートル、幅43メートルの滝で、日本の滝百選(平成2年4月)に選ばれています。九州自動車道を走行するたび、車窓から眺めることもありましたが、現地に行ったのは初めてのこと。 季節や天候によって水量が大きく変動することもあるらしいですが、5月から9月にかけての農繁期や少雨が重なると、滝の流れはほとんどなくなることがあるそうです。9月上旬のこの日、滔々と流れる水量は滝としての威厳を魅せてくれました。「龍門滝」の岩盤は、国分層群と呼ばれる地層へ隆起したマグマが冷えた柱状に固まった岩盤です。「龍門滝」の南側約1キロメートルにそびえる、蔵王岳(ざおうだけ)も同様、マグマの隆起によってできた火山岩です。 滝壷の近くまで下ると、地元の方だろうか幾組かの家族が親水していました。絶え間なく流れる水は美しく白い絵を描きます。静かに落ちていく姿は、その印象を強めるような気がします。水が造形する自然は美しいです。 昔、唐から来た高官がこの滝を称して『漢土の龍門の滝を見るのが如し』と言ったことから「龍門滝」(りゅうもんのたき)と呼ぶようになったと伝えられています。江戸後期、全国を旅した、橘南渓(たちばななんけい)という人物が「西遊記」の一節で絶賛し、また儒学者の安井息軒(やすいそくけん)が来観したことのある、県下でも稀に見る滝の一つと紹介されているそうです。橘南渓という人物は1700年代の京都の医者であり文人で、全国各地を旅して書いた紀行文「西遊記」と「東遊記」などが残されています。江戸時代のベストセラーだったそうです。
近くには、「龍門司坂」(たつもんじざか)という古道があります。「龍門司街道」「だつもじ坂」「龍門寺之坂」などと表記され、近くに「住吉龍門寺ト云寺有リ、於テ云」と説明してある文書もあります。この坂は旧大口筋の一部で石畳の坂です。当時は薩摩から肥後へつながる主要路線でした。1635年(寛永12年)に着工し、その100年後に完成したと言われています。この頃、薩摩藩は領内において「白金坂」など、大規模な街道整備を実施したのでしょう。大名行列や物資の搬出などに使われ、江戸と薩摩を結ぶ重要な街道でした。物資の往来する主幹線として薩摩の経済や文化に関与していました。 1877年(明治10年)の西南の役の際は、西郷隆盛率いる薩軍が熊本へ向かいました。薩摩藩士、別府普介(べっぷしんすけ)に率いられた6番大隊(加治木隊)、7番大隊もこの大口筋を通って佐敷(熊本県芦北町)へ、西郷隆盛翁率いる本営へ加わるため、加久籐越え(熊本人吉)で熊本へ向かいました。西南の役では大勢の人々に送られて、総勢6千名とも言われる薩摩軍の兵士がこの「龍門寺坂」を進軍し、熊本城を目指しました。西南の戦の終焉、鹿児島市の城山で西郷隆盛翁の介錯を努めたのが、この坂から進軍した別府普介でした。 昔の人々は、大口筋の入口である坂に立った時、傍らにある滝を眺め道中の無事を祈ったことでしょう。杉木立につつまれた苔むした石畳の坂道に足を止めて佇むと、竹林のこすれる風の音とともに、向こうからお侍さんや商人が歩いて来そうな、そんな雰囲気のところでした。 「龍門司坂」は平成8年に文化庁より「歴史の道百選」に選定され、NHK大河ドラマなどで度々ロケ地として登場しています。
龍門滝・龍門司坂(駐車場は共有) 姶良市加治木町木田5266-1 (お問い合わせ) 姶良市商工観光課 電話 0995-66-3111
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