杵築の自然・環境
自然・風土
ロイヤルシティ別府湾杵築リゾート/2021.09.28
大分県の北東部、国東半島の南部に広がる大分県杵築市。東に伊予灘、南に別府湾の美しい海岸線を有する海沿いのまちに、ロイヤルシティ別府湾杵築リゾートはあります。車で約8分(約4.7km)のところにある杵築市の市街地には、坂道に囲まれた珍しい城下の町並みが残っています。中でも印象的なのは、急角度の坂が向かい合う風景です。
その昔、海に面して築城された杵築城を中心に据え、南北の高台に当時の武士たちが屋敷を構え、その谷間で商人たちが暮らしていました。武家屋敷と商人のまちを結ぶ坂は、北の「酢屋の坂」に南の「塩屋坂」。石畳でできたふたつの坂が一直線状に向かい合う景色は、杵築独特のものです。高台の武家屋敷を歩いていると、土壁が続く町並みや藁葺き屋根の家老屋敷、急に広がる竹林など貴重な景観と巡り合います。「勘定場の坂」「番所の坂」「寺町」「家老丁」などの地名からも城下町の名残を感じ、国東半島の政治経済の中心地といわれた旧杵築藩時代に、思いをはせることができます。
時を止めたかのような、城下町の町並み
白壁の塀の向こうにたたずむ杵築カトリック教会
杵築城は室町時代初期、1394年に築城。北に高山川、南に八坂川、そして東を守江湾に囲まれた天然の要塞です。「日本一小さい城」ともいわれる杵築城ですが、戦国時代には島津家の大軍の猛攻から2カ月間にわたって耐え抜き、撃退したことから別名「勝山城」とも呼ばれています。現在建っているのは模擬天守ですが、城跡にそびえる三層の天守閣は、江戸時代初期の城郭の実態を知る上でも重要と位置付けられ、2020年(令和2年)3月に杵築城跡と麓の藩主御殿跡が国の史跡に指定されました。
守江湾を望む高台に築城された杵築城
市街地から、少し足を伸ばしてみましょう。大分県には、沈下橋(沈み橋)が多数現存しているといわれています。大昔の阿蘇大噴火によって溶結凝灰岩が堆積し、広くて浅い谷底(こくてい)平野という独特な地形に。農地と川床の高低差が少ないため、橋も増水時には水面下に沈みます。田園広がる杵築市山香町には、日本最古の石造沈下橋(沈み橋)「龍頭橋」が残り、橋のたもとに平らな川床が見え隠れする独特な風景を描いています。
1912年(明治45年)竣工の龍頭橋
杵築市の隣、豊後高田市の山間には、1200年もの歴史を持つ荘園「田染荘(たしぶのしょう)」が残っています。山々に囲まれた中で美しい曲線を描く水田は、もともとの土地の地形を利用してつくられたもの。宇佐神宮の根本荘園のひとつで、昔のままの姿が守り続けられるのはここ、小崎地区のみです。2010年(平成22年)に国の重要文化的景観に選定され、2011年(平成23年)12月にはユネスコ未来遺産に登録。さらに2013年(平成25年)5月には国東半島を含む一帯が、世界農業遺産に認定されました。
743年の墾田永年私財法の成立により、多くの農民や宇佐神宮が尽力。うっそうとした原野から「田染荘」がつくられ荘園として栄えた
「六郷満山」と呼ばれる神仏習合文化が形成された国東半島。半東南部の杵築にも、さまざまな伝説や独特の風景が残っています。
山香町の「羽門(うど)の滝」は落差約12mの小さな名爆。ひんやりと澄んだ空気に包まれる中、苔(こけ)むした岩をたたく白い滝の様子からか、白竜が潜むといわれる秘境の滝です。
羽門の滝は、杵築市を流れる八坂川の支流「松尾川」上流にある
別府湾の遠浅の浜辺、奈多海岸の美しい松林の中には、「八幡奈多宮(はちまんなだぐう)」が海に面して鎮座しています。鳥居から海に向かって見えるのは、沖合約300mの市杵島(いちきじま)の岩礁に建てられた小さな鳥居。ここが古くから比売(ひめ)大神を祀る元宮とされ、まさに「海そのものが参道」です。朝日に照らされ海に鳥居の影が浮かぶ様子は、とくに幻想的といわれています。
小さくても存在感を放つ、八幡奈多宮の鳥居
杵築カトリック教会 [現地から約6.6㎞]/杵築城 [現地から約6.3㎞]/龍頭橋 [現地から約21.0㎞]
田染荘 [現地から約28.6㎞]/羽門の滝 [現地から約20.8㎞]/八幡奈多宮 [現地から約15.2㎞]
取材撮影/2021年8月3日
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