コラム vol.043
賃貸住宅着工戸数の60年間を振り返る
公開日:2014/10/01
日本全体では、現在約15%の空室率
各機関により若干異なるのだが、総務省統計局の公開データによると、2008年の日本の世帯数はおおむね5000万世帯、総住宅数は約5760万戸。1世帯に1住戸の前提で、単純計算すると約760万戸分住宅の方が多いということになる。760万÷5000万=約15%これが空室率の概算というわけだ。
世帯数と住宅総数の関係について、総務省の公式サイトでは、以下のようなコメントが掲載されている。
総住宅数と総世帯数の推移を比較してみると、1963年までは、総世帯数が総住宅数を上回っていたが、1968年に総住宅数(2559万戸)が総世帯数(2532万世帯)を27万戸上回った。1973年には総住宅数(3106万戸)と総世帯数(2965万世帯)の差が141万戸となり、全ての都道府県で総住宅数が総世帯数を上回った。その後も総住宅数と総世帯数の差は拡大を続け、2008年には総住宅数(5759万戸)が総世帯数(4997万世帯)を761万戸上回り、1世帯当たり住宅数は2003年の1.14戸から1.15戸となっている。
~ 総務省 統計局ホームページからの引用
賃貸住宅着工数の60年間を振り返る
戦後は住宅が不足していた。戦災にあって建物が焼失しただけでなく、終戦後、若者が各地から復員し、結婚するなどで世帯数が急に増えたことも要因だろう。それを象徴するかのように、戦後、右肩上がりに賃貸住宅の着工戸数は増え続けた。
この62年間には、大きな山が2回あった。1960年代半ばから1970年代半ばの山と1980年代後半から1990年代前半の山だ。
1960年半ばからの山には2つの要因が考えられる。ひとつはベビーブーマー達が成人になり始めたこと。そしてもうひとつ、大きいのは、農村部から都市への人口流入だろう。
1980年代後半から1990年代前半の山は、日本経済が好調だったバブル期である。そこへ向かう1980年代の半ばは、景気悪化が懸念されていた。その後、プラザ合意から日本は後にバブルと呼ばれる熱狂時代を迎える。この時代、80万戸以上が4年間も続いた。まさに、日本経済の絶いただぶりを象徴するような数だ。この62年間の平均は約42万戸だから、倍近い数字が続いたのだ。
日本各地の地価が最高値を付けるのが1991年、日経平均の最高値は1990年末。この頃から、バブルが崩壊し始める。あるディスコの映像がバブルの象徴のように何度も何度もメディアで流されているが、当時取り上げられていたそのディスコのオープンは1991年5月、閉店は1994年だから、景気が下落し始めた時期のモノだ。
地価はバブル後、1991年をピークに一気に下がり始める。しかし、賃貸住宅着工数は、若干減ったものの、その後も1996年までは60万戸程度を維持する。景気低迷感がかなりあった頃にもかかわらず、賃貸住宅は建築され続けたのだ。
「住宅賃料は、マクロ経済に影響は少ない」今では、定説だが、当時は賃貸住宅市場とマクロ経済の関係は、はっきりしていなかった。
山一ショックと言われ、いくつかの金融機関が倒産や外資による救済(買収)が続いた1997年からは、着工数の低迷が続く。その後、増加基調になるのは後にミニバブルと呼ばれることになる2003年から2008年くらいの間だ。そして、2008年の秋に日本経済にも大きな影響があったリーマンショックを迎え、着工数は一気に最低水準になる。
そこから、わずかずつ復活するのは2012年からだった。
一戸当たりの広さは、45m2~55m2が続く
次に、賃貸住宅の一戸当たりの広さの変遷を見てみよう。
賃貸住宅にはファミリー世帯用、単独世帯用などさまざまあるが、時代ごとに多く求められた住居形態が異なるから、一戸当たりの広さが広くなっても、あるいは狭くなっても、その現象が直接的に何かを言えるものではない。しかし、大まかな傾向はつかむことができる。
1951年~1965年くらいまでは、35㎡以下の平均値が続く。単独世帯用もしくは、夫婦二人で住むための住まいだろう。まだまだ、核家族化が顕著でなかった時代だから、こうした狭い賃貸住宅が中心となっている。また、1965年から1980年くらいの15年間は右肩上がりに広くなっている。(グラフ2)
都市部への流入が進み、夫婦二人向けの住宅が増えた。そして、子どもが生まれ…と狭い賃貸住宅からだんだん住みやすい広めの賃貸住宅ニーズが広まっていった。以後現在まで、多少の前後はあるものの、年度ごとの平均値では、一戸当たり45㎡~55㎡が続いている。今後とも、この数字に大きな変化はないだろう。