PREコラム
「空き家問題の解決は地域の活性化を生む」(7)事業承継の課題解決が空き家や空き店舗の解消に繋がる
公開日:2018/04/20
空き家や空き店舗が生まれるひとつの要因に、地域における家業の廃業があります。事業を引き継ぐ担い手不足のため、止む無く事業を停止し廃業してしまうことで、店舗や工場が取り残され、それが空き家となっている地域は全国に見られます。
廃業件数は2000年の2倍、その半数は黒字であった企業
2017年版中小企業白書によれば、廃業は年々増加傾向にあり、2016年の中小企業の廃業件数は過去最高の29,583件で、2000年に比べて約2倍になっています。廃業というのは、倒産とは違い、自主的に事業を止めて解散したという意味です。ちなみに倒産件数は、リーマンショック後の2008年をピークに減少傾向にあり、2016年は8,446件でしたので、廃業は倒産の3倍強ということになります。
2016年の廃業企業の経営者の年齢をみると、60歳以上の企業の割合が82.4%となっており、過去最高となっています。また、70歳以上の経営者が33.7%、80歳以上の経営者が14.0%と、こちらも過去最高となっており、廃業した企業の経営者の高齢化が進んでいることが分かります。このことから、廃業の原因は、経営者の高齢化が大きく関わっていることが想定できます。
廃業企業の業績を見ていくと、2013年から2015年までの期間で廃業した企業の廃業直前の利益率(売上高経常利益率)をみると、利益率が0%以上の黒字状態で廃業した企業の割合は50.5%と、過半数の企業が廃業前に黒字であったことが分かります。また、利益率が10%以上の企業が13.6%、20%以上の企業が6.1%と、一定程度の企業は廃業前に高い利益率であったことが分かります。つまり、事業を継続できたにもかかわらず、廃業してしまった企業が半数程度もあるということです。
これらのことから、近年、経営者の高齢化が進み、経営者自らの体力では事業の維持・継続が難しくなっているが、その事業を引き継いで経営する人材が見つからない企業が多く存在するという状況が想像できます。
廃業が増加すると、当然、地域の生産能力は低下し雇用が失われます。それが店舗であれば、地域への来街者が減少し、街全体の活気が失われます。また、廃業により工場や店舗が空き家化、空き店舗化すれば、地域の景観面、安全面、衛生面で悪影響を及ぼします。したがって、廃業を未然に防ぐことは、ひいては地域の活性化の維持に繋がるはずです。
事業承継のかたち
通常、「事業承継」というと、家業を家族が引き継ぐイメージがあります。つまり、子どもや兄弟が、経営者が高齢化した際に、事業を引き継いで経営することです。老舗と言われる企業など、親から子へ、子から孫へと代々家業を受け継いできた企業が多くあります。
一方、「事業の引継ぎ」と言った場合は、家族や親族に関係なく、経営を引き継いで事業を継続するイメージがあります。例えば、外部から経営人材を招聘して経営を任せたり、M&A(吸収・合併)により、同業者などが事業を統合して、結果的に事業を継続する手法などがあります。少子高齢化や核家族化が進む現在、特に地方都市においては家業を家族や親族で承継することは難しくなっています。したがって今後は、外部経営者の活用やM&Aなどで事業を引継ぐ手法が、増えてくるのでしょう。
国も、全国の都道府県に「事業引継ぎセンター」を設置し、事業承継の相談業務や「後継者人材バンク」の整備、M&Aの仲介業務などを行って、まだ存続可能な企業の事業継続を支援する取り組みを行っています。
事業を引き継いだ後継者たちが地域事業の再生を促し地域活性化を推進
実際に事業を継続することが地域活性化に大きな役割を果たしている事例を紹介します。次に掲げる取組は、事業承継を果たした後継者グループが、地域の老舗企業者の廃業を食い止め、また廃業した事業を復活・再生させて、地域の活気を取り戻している事例です。
福島県会津若松市は、会津藩の城下町として栄え、鶴ヶ城や飯盛山などの歴史的な観光資源が豊富で、年間の観光客数は約300万人にのぼると言われています。そんな会津若松の観光地のひとつが「七日町通り(七日町商店街)」です。七日町通りは、市の中心部にある大町四ツ角から西に延びる約800mの通りで、明治から昭和初期に建てられた蔵や商家の木造建築、洋風建築など、歴史を感じさせるレトロな街並みが人気を集めています。
しかし、こんな七日町商店街も、20年前はほとんどが空き店舗のシャッター商店街だったそうです。やはり原因は、人口減少や大型商業施設が郊外にできたことによる来街者の減少、店主の高齢化による廃業でした。その結果、商店会は解散し、空き店舗が増えていったそうです。そんな状況を見て、家業を継ぐために帰郷した後継者たちは愕然としたと言います。
そんな中、1994年に、七日町通りで家業を継いだ有志が集まり、商店街の昔の景観を復活させ観光地として活性化させようと、“大正ロマンのまちづくり”をコンセプトに立ち上げたのが、「七日町通りまちなみ協議会」です。
当初、空き家の店主達は懐疑的で、あまり乗り気ではなかったそうですが、廃業を考えていた山寺米穀店の店主の決断により、店舗を昔の姿にリノベーションし、お米を使ったお菓子や雑貨の販売をする「やまでら茶屋」の開業にこぎつけました。これが観光ガイドブックに取り上げられ、来客数が増加したことで、店主たちの意識も徐々に変わり、1995年には、商店街店主の3分の2の同意を得て景観協定を締結、空き店舗の改修が進んでいくことになります。また、個店の改修によって街並みを復活させることに加えて、無人駅となっていた七日町駅をJRから借り受け、会津の雑貨やお土産物が買える駅カフェとしてオープンしたり、さらに大晦日にはカウントダウンイベント開催したりといった、街全体への誘客施策も実施されています。
そして現在進めているのが、旧家芳賀家により明治時代に建てられた4つの蔵を大屋根で囲い、イベントも開催できる中庭を持たせた「七日町パティオ」、会津を代表する大商人であった福西家が建てた母屋や蔵を再生した「福西本店」です。
このような取り組みによって、20年前は7割にも達した空き店舗も、今では3割程度まで縮小し、多くの観光客が集う街並みへと変貌しています。
この事例は、地域の活性化には、家業を継続あるいは再生していくことが重要であることを教えてくれます。