下町風情が残る東京・谷中(やなか)に、
アトリエ兼ギャラリー『繪処(えどころ)アラン・ウェスト』はあります。
約30年にわたりこの地で描き続けるアメリカ人画家に、
日本画の魅力や人と向き合って制作する喜びについてお話を伺いました。
艶やかに輝く屏風画を背に、碧眼の画家は筆を執ります。思わず息をのむ気迫で植物の力強さと繊細さを描き出すのは、アメリカ人画家のアラン・ウェストさん。魂を込め、真剣な表情で絵と向き合います。
アメリカ、ワシントンD.C.で生まれ育ったアランさんは、自宅の裏山に自生する木や草花の美しさに魅せられ植物の絵を描き始めました。絵画教室で油絵を学び、8歳で画家になる決心をした後、14歳の時には劇団から背景画の制作を頼まれて注文制作を手掛けるほどの腕前に。
順調に画家への道を歩んできましたが、より繊細に、自由に植物を描こうとすればするほど、油絵へのストレスがたまっていきました。油絵具の明瞭な色合いや粘りのあるテクスチャーでは、植物の持つこまやかな色彩や質感を表現できなかったのです。そこで兎の膠と大理石の粉を使って独自の絵具を作るなど、なめらかに描く方法を暗中模索していた時、一筋の光明をもたらしたのが日本画でした。
全米トップクラスの美術大学カーネギーメロン大学に在学中だった19歳のアランさんは、2週間ほど休みを取り来日。日本画の岩絵具(天然石の鉱石を粉末状にしたもの)に出合いました。「なんと透明感があって美しく、繊細な表現ができるのかと感動しました。もう画材と葛藤せずに自分が描きたいように描ける。その感動の大きさは、故郷を離れて未知の国日本で絵を描き続ける決意をさせるのに十分でした」とアランさん。兎よりも透明度の高い鹿の膠や、太さを自在に扱える和筆にも感銘を受けたそうです。
アメリカで大学卒業後、再来日し東京藝術大学で日本画の大家、加山又造教授の門をたたきます。師のもとで技術・技法や画材の扱い方を教わり、ついに心の中にある植物の姿を自由に描ける喜びを手に入れたのでした。
東京藝術大学大学院卒業後は日本画家として活動。初来日から30年以上たった今でも奥深い日本画の世界で自然を描き切る探究の最中です。
注文を受けて制作するのがアランさんの主な制作スタイル。クライアントは一般企業からホテルや自治体、個人まで多岐にわたり、掛け軸、版画、衝立、扇子、商品ラベル、パネル画など幅広く受注しています。
注文制作はまず、クライアントへのヒアリングから始まります。この時、大切にしていることは二つ。一つ目は絵が掛けられる場所の環境です。
「絵がどのように光を受けるかをつぶさに把握する必要があります。なぜなら、人間の目は絵具を見ているのではなく反射する光を見ているのですから。日本画に使う金属箔や絵具は反射する光の質感、見る角度や時間帯で表情がガラッと変わります」
また、美術館とは異なり、住宅などに掛けられる絵は長い期間見られることが前提になります。見飽きることなく何度も新しい発見がある、描かれたモチーフから力をもらえるような絵がアランさんの理想です。
腕の見せどころは多様な線を使っていかに動きを表現するか。「私は線に魂を込めて植物の生命力を描き出します。目指すのは私の絵を見た人に、まるで森林浴をしているかのように清らかな気持ちになっていただくことです」。自然そのものをまねても、本物には及ばない。描くのは心に訴えかける自然の輝きなのです。
日本画に用いる岩絵具や鹿の膠、金箔などの画材
もう一つ大事にしているのはクライアント自身をよく知ることです。ヒアリングの場では、相手の仕草や話し方、着ている服などあらゆる要素を手掛かりにしながら絵のコンセプトを決めていきます。なぜその絵を描いてほしいのか。クライアントが絵に込める思いを丁寧にくみ取り、描き出します。
例えば、ある家族に依頼された絵では、一人ひとりの姿を花や蝶で表し、配置で家族の物語を表現しました。また、ある料亭のオーナーからは、自身の名前の由来になった実家の松を描いてほしいと依頼され、実物をスケッチするために現地まで足を運びました。現実には存在しない、夢に見た風景を描いてほしいという依頼もあったそうです。依頼主の数だけ、異なる思いがある。アランさんはその思いに応えていきます。
線の太さを自由自在に扱えるのが、和筆の使い良さ。イメージ通りに描けます
「その人らしさが絵に出るように試行錯誤します。花鳥画や風景画を描く際も、お客さまの心の肖像画を描いているつもりです」
そうして完成した絵を、クライアントに喜んでもらえた瞬間が、画家としての一番の醍醐味だそうです。夫から妻へのサプライズプレゼントや、料亭の開店祝い、受賞を記念する日本酒のラベル。人や企業の節目の記念となるものづくりに関われるのがやりがいです。
胸の内にある植物の美しいイメージを繊細な筆致で表現
新たな技法やアイデアの引き出しも、注文制作で培われます。多彩な色を用いた植物画がアランさんの得意とするところですが、時には墨絵、動物、キャラクター…とさまざまなオーダーを受けてきました。自分の発想にはないことでも、実現のため努力をする。そうして画家として新たな境地を開拓したいと常に探究しています。
仕事以外のときでもデッサンするほど、アランさんは描くことが生活の一部になっています。「昔も今も自分の描きたい絵を描きたいように描いているだけ。地位や名誉を気にしていないから、仕事も幸せなんです」
幼少期の夢を実現した、理想の人生。固定観念や過去の自分に捉われず、自由な精神で絵を描くことがアランさんののびやかな筆致に表れているのかもしれません。
天井手前は四季を代表する植物や花、奥は画家を見守る龍の親子
多種多様な作品を生み出してきたギャラリー兼アトリエ。玄関正面にある作業場でアランさんが絵を描く姿を気軽に見られるようになっているのには理由があります。「毎日この前を通る人、たまたま通りかかった人に少しずつ絵が完成していく様子を見せて、少しでも日本画に興味を持ってもらいたいのです」。日本画の画材屋さんや掛け軸で使う織物の織元が時代の流れとともに廃業に追い込まれているのに心を痛め、もっと業界を盛り上げるためにアピールしたいという思いからだそうです。
アランさんは床の間から世界平和を唱える自称「トコノミスト」でもあります。「日本には床の間をつくり、季節の花や絵を飾る文化があります。シンプルな空間ならば、飾るものを変えるだけで模様替えしたようになる。季節の花や四季にまつわる絵を飾る素晴らしい文化に誇りを持ち、暮らしの中で彩りを楽しんでほしいと思います」
現代の住宅では和室や床の間がない家も多いですが、壁の前に置き床を置いて絵を飾ったり、ニッチに一輪の花を生けたりするだけで心が少し豊かになるとアランさんは語ります。「生活空間は精神の延長です。心休まる空間を皆さんの家につくれば、日々の暮らしに色をもたらすでしょう。そうして、日本、ひいては世界の人々の心に平穏が訪れることを願っています」
アランさんは人々に寄り添い、絵を通して豊かさを届けます。これからもさまざまな人の人生を彩り続けるでしょう。
ギャラリーには季節に合わせた作品を展示。観光客がふらりと立ち寄ることも
天井手前は四季を代表する植物や花、奥は画家を見守る龍の親子
壁の前に「置き床」を置いて掛け軸をかければたちまち床の間風の空間に
アトリエ兼ギャラリー前に立つアランさん。玄関にはお寺の門の一部を移築
日本画家 ワシントンD.C.生まれ。14歳で初めて絵の注文制作を受け、舞台背景を描く。カーネギーメロン大学芸術学部卒業後、日本へ。東京藝術大学大学院日本画科加山又造研究室にて学ぶ。同大学院卒業後、『繪処アラン・ウェスト」を構え、代表を務める。
取材撮影協力 / 繪処アラン・ウェスト
2019年1月現在の情報となります。