煉瓦という無骨な直方体を積み上げて描く優雅な曲線美。
人の手がそれを生み出すという事実に圧倒されない人はいないでしょう。
今回は髙山煉瓦建築デザインの髙山登志彦さんに、
真の職人が積み上げる煉瓦の魅力についてお話を伺いました。
離れた場所から眺めると、まるで風に吹かれ波立っているように見える壁面。少し近づいて角度を変えると、それが煉瓦でできたルーバーであることが分かります。
千葉県勝浦市の芸術文化交流センターの外観に、芸術的に美しい煉瓦を積み上げたのは、髙山煉瓦建築デザイン(千葉県柏市)の髙山登志彦さん。デザインから施工まで一貫して煉瓦建築に携わる、業界の第一人者です。建築家らとタッグを組み、日本各地で公共施設、オフィスビル、学校、個人宅などの建築物のプロジェクトに関わっています。
勝浦市芸術文化交流センター・キュステ(千葉県勝浦市)。内装・外装合わせて約32000本の煉瓦を使い、15人のスタッフがおよそ2か月かけて施工した
勝浦市芸術文化交流センター内にあるホール壁面。ねじり積みの技法を用い、規則正しくグラデーションを描く煉瓦のルーバーがここにも用いられている
滑らかで軽やかな表情を見せたと思えば、別の作品では重厚感のあるどっしりとした趣をたたえる髙山さんの煉瓦壁。東京・兜町(かぶとちょう)にある証券会社のビルでは、高層建築の外壁に約20万本が積まれました。長辺と短辺を互い違いに組み上げる「フランス積み」の技法をアレンジし、さらに凹凸感を強調した模様編み。時間や季節の移り変わりによって光の角度や質感が変わると、煉瓦にもその時々の表情が生まれます。竣工から約20年を経て古さを微塵も感じさせず、むしろファサードに堂々とした風格を漂わせています。
光世証券兜町ビル(東京都中央区)は約20年前に施工。陰影に富んだ印象的な表情は、時を経て風格を増している
アーチ状の煉瓦は木の枠を用いて積む。煉瓦の重さによって生じた圧縮力で強度を保つ構造
また、東京都内の認可保育園で、髙山さんは屋内プレイルームの壁面を任されました。長い時間、親と離れて過ごす子ども達を想い、母の優しさや温もりを表現できないかと頭をひねり、完成したのは滑らかな曲面が特徴的なベージュの煉瓦壁。ところどころに凹凸を設けてクライミングウォールとしての機能も持たせた壁は、子ども達のお気に入りの遊具にもなりました。
このように、髙山さんという熟練の職人の手によって積まれると、土を焼き固めた直方体は生命を吹き込まれ、存在感と華やかな輝きを放ちます。
グローバルキッズ飯田橋園(東京都千代田区)内のプレイルーム。優しい曲線を描くベージュの煉瓦壁に、母親のぬくもりを表現した
髙山さんは祖父の代から続く煉瓦職人の家系に生まれ、幼い頃から煉瓦を玩具代わりにして育ちました。自宅にはいつも親方である父のもとで働く職人衆が居て、その空気を肌で感じていたそうです。
しかし、「10代の頃の夢は彫刻家で、煉瓦職人になるつもりなど全くなかったんです」と髙山さん。高校卒業後、イタリアで彫刻を学ぶための費用を貯めようと、父のもとで2年間アルバイトをした経験が運命を変えました。
ホテル川久(和歌山県)を始め、巨大な建築物を作り上げる父や職人らの雄姿。百年単位で世に残る仕事の壮大さ、奥の深さ。そのすべてに惹かれて、いつしか職人の道を歩き始めた髙山さん。ちょうど結婚が決まったのを機に、職人としての人生が本格的にスタートしました。
「昔から手を動かしてものを作るのが好きで、コツコツと積み上げる仕事が性に合ったのかもしれませんね。後を継ぐよう、うまく父に仕向けられたような気もしますが」と笑う髙山さん。もし生まれ変わっても煉瓦職人になりたいと断言する横顔には、誇らしさが漂っていました。
人間にとって身近な自然素材である土を原料とする煉瓦は、世界各地で古くから建築材料として用いられてきました。その発祥はメソポタミア文明までさかのぼると言われています。
煉瓦の建築文化はヨーロッパで花開き、現在も築300年を超える煉瓦建築が当たり前に存在して生活の中に根付いています。一方、日本に入って来たのは幕末から明治期にかけて。ヨーロッパに比べるとはるかに歴史が浅く、現存する煉瓦建築は古いものでも築140~150年程度。また、地震大国である日本には構造躯体として煉瓦を使った建築はなじみにくく、近代は主に壁面を飾る装飾として用いられてきました。
髙山さんは20代の頃、修業のため幾度か渡英したことがありました。そこで師事した親方に「なぜアーチ状に煉瓦を積むのか述べろ」と問われ、答えに窮したそうです。ところが親方が同じ問いを現地の10代の職人に投げかけると、当たり前のように構造理論を口にするではありませんか。この時、日本とヨーロッパの煉瓦の歴史、文化の差を痛感したそうです。
以来、髙山さんの猛勉強が始まりました。国内外のさまざまな文献を紐解いて、大きな地震に耐えて安定する積み方、壁面の装飾だけでなく丈夫な構造躯体として煉瓦を積む理論を研究したのです。大切なのは重力を味方にすること。幼い頃から煉瓦に親しみ、積むことを楽しんできた髙山さんにとって、それは肌感覚で獲得してきた作業を理論づける行為でした。
その後、髙山さんは数多くの煉瓦建築を手掛けてきました。東日本大震災など大地震を経ても崩れた例はなく、煉瓦という建築資材の素晴らしさと職人の腕を証明することになりました。
唯一無二の作品を数多く残し、ともすれば職人ではなくアーティストと呼ばれることもある髙山さん。しかし、自身はアーティストでも作家でもなく、職人という肩書に強いこだわりを持っています。
「実は、江戸時代まで職人はアーティストでもあったのです。現代の職人は元請けの指示のもと、決められた作業を工夫もなく行うことがほとんどになりました。ものを創る感性が損なわれているのは、自ら考えることを放棄した結果だと思います」
髙山さんはクライアントや建築家から指名されると、そのプロジェクトの全体像はもちろん、建築地の土地柄や歴史、人々へ発信すべきメッセージなど、あらゆる角度から煉瓦積みのデザインを考案します。
アトリエには、デザインサンプルを作るための小さな木片が大量に用意されています。用いる煉瓦の種類や積み方を何通りも検討し、建築家や施主らとイメージを共有できるまで、積んでは崩し、また積んでは角度を変えて確かめる作業が続きます。
波のように、母のように、光のように、絹のように。あらゆるキーワードが髙山さんの煉瓦のコンセプトになり得ます。それが土でできた素材であることを忘れさせるような瑞々(みずみず)しいデザインには、職人の矜持や感性が織り込まれ、だからこそ人の心を捉えて止まないのです。
自宅兼事務所の壁に自ら積んだ煉瓦壁。端材を使った低コスト施工だったが、時間がたつにつれて堂々とした構えに
木片を積んで接着したサンプル。施工前に幾通りも作って積み方を検証する
蒐集(しゅうしゅう)している世界の古煉瓦コレクション。古いものでは300年以上前のものまで含まれ、煉瓦の寿命の長さを感じさせる
焼成前の煉瓦に彫刻を施し、煉瓦壁にはめ込むレリーフのデザインも手掛けます。かつては彫刻家を志したこともある髙山さん。アトリエにこもって彫刻へらやノミを手にすると時の経つのを忘れて没頭でき、最も楽しめる時間だと語ります。
他の誰にも真似できない煉瓦積みのデザインや、芸術性の高いレリーフ。それらをストイックに追求し手掛ける髙山さんの背中を見て、弟子達は自らが職人として輝く将来を思い描きます。
「技術を教えるだけでなく、職人としての喜びややりがい、誇りを継承していくことで、後世を担う若い職人を育てていきたいのです」。弟子を含めて現在6人の職人が勤める髙山煉瓦建築デザインでは、親子や兄弟のような仲の良さで、創る喜びを共有しながら仕事を進めています。
煉瓦の素晴らしさをもっと現代の日本に伝えたい。次の世代につないでいきたい。煉瓦職人・髙山登志彦さんは大きな夢を胸に秘めて、今日も日本のどこかで煉瓦を積んでいます。
真剣なまなざしで能面のレリーフ制作に向き合う髙山さん
1968年山口県生まれ。二代目である父とともに数々の歴史的煉瓦建築に携わる。三代目継承後も現代建築から修復保存まで種々の煉瓦建築を手掛ける。2014年、より広く深い煉瓦匠としての活動を視野に、株式会社髙山煉瓦建築デザインを設立。煉瓦を使ったアートワークの制作をはじめ、講演会やシンポジウムへの参加など、“職人の復権”をテーマとする活動を展開中。
取材撮影協力 / 株式会社髙山煉瓦建築デザイン
2018年12月現在の情報となります。