言葉、絵、物語、そして手触りまでもが感性を刺激する「紙の本」。
ひとたびページをめくれば、未知の世界へと導いてくれる本は
私達の人生をきっと豊かにしてくれるでしょう。
ユニークなコンセプトと洗練されたデザインが特徴の文化施設、
「こども本の森 中之島」に、紙の本に触れる魅力について伺いました。
子ども達に読書体験を贈る
子どもの頃、絵本や小説のページをめくり、無限に広がる本の世界にワクワクした経験は誰にでもあるでしょう。親が子どもに絵本を読み聞かせたり、友達とわいわい本を囲んだり、一人で集中して読書したり。本が私達に与える影響は大きく、豊かな感性や想像力を育む源となっています。ところが近年、テレビやインターネットなどさまざまな情報メディアが普及し、大人だけでなく子ども達も紙の本を手に取る機会が減ってきています。そのような現状を受け、大人も子どもも思わず本に触れたくなる文化施設が、大阪市内の都市部に位置する中之島に誕生しました。
2020年7月に開館した「こども本の森 中之島」は、子どもが本と出会い、本を楽しみ、本に学ぶ施設です。大阪出身の建築家・安藤忠雄氏が提案・設計し、大阪市に施設を寄付。運営費は地域を愛する多くの企業や個人などから集まった寄附金で賄われます。「子ども達に豊かな活字文化に触れる機会を与えるために、思うがままに読書を楽しめる施設をつくりたい」という安藤氏の思いが込められています。設計にあたっては、大阪の歴史と文化が息づく中之島という立地を十二分に生かすこと、そして子どもが主役の施設であることを第一に考えたと言います。
階段やブリッジ通路が張り巡らされた館内。壁一面の本が迎えます
建物は中之島の両側を流れる堂島川と土佐堀川に沿って弓なりに伸びる形に。エントランス・ポーチを覆うゲートが、南側の公園の緑と北側の川面の風景を緩くつなぎます。建物周辺には蔦(つた)やカズラが植えられ、将来的には建物全体が緑に埋もれ、その名の通り「森」のような施設になることでしょう。
開館以降、即日来館予約が埋まってしまう程の人気ぶりで、日々多くの家族連れが訪れています。安藤氏も度々来館し、子ども達の楽しそうな声が響き、笑顔であふれる館内の様子を見て、顔をほころばせているそうです。
建築家・安藤忠雄氏の絵本『いたずらのすきなけんちくか』(小学館)は同館のお話
好奇心を刺激する仕掛けが未知との出会いを生む
館内に足を踏み入れると、そこは立体迷路のように階段やブリッジ通路を巡らせた3層の吹き抜け空間。あちらこちらで本を広げる子どもや、懐かしい本に目を輝かせる大人達がそれぞれの時間を楽しんでいるのが目に入ります。四方を囲む全ての壁が本棚になっていて、まさに「本の森」に迷い込んだかのように、冒険気分で館内を子ども達が歩き回っています。「自分自身で面白さを見つけ、ワクワクしながら自由に読書を楽しめる場所になってほしいです」と館長の前川千陽さんは語ります。
建物の至るところに、本に興味をもつ仕掛けが施されています。静寂に包まれた円筒の空間もその一つ。響く声や少しひんやりとした空気が非日常を感じさせます。ここでは児童書の物語の一片がプロジェクションマッピングで紹介され、紙の本になじみのない子ども達が物語に興味をもつきっかけを生み出しています。
「お気に入りの場所で、お気に入りの一冊を読んでもらうのが一番。思い思いに楽しんで」と前川さん。一般的な図書館とは異なり、本の貸出はありませんが、一人一冊までなら外に拡がる中之島公園内に持ち出すこともできます。心地良い風を感じながら芝生に寝転んで読書にふけるのも特別な時間となるでしょう。
円筒の空間に流れるプロジェクションマッピング。音と映像による物語の世界に、子どもは興味津々
どんどん膨らむ本の世界を楽しむ
一つの興味から次々と世界が広がっていくのが紙の本の魅力。手に取ろうとした本のすぐ隣にあった本に目移りして思わず読んでしまうのも、新たな出会いの一つになります。ブックディレクターの幅允孝(はば よしたか)氏が選書を手掛け、さまざまなジャンルの本を12のテーマに沿って配架。「動物が好きな人へ」「食べる」「生きること/死ぬこと」といった日常生活や好奇心に寄り添う独自のテーマ分けが、予期せぬ新たな出会いを生み出します。絵本や小説、漫画など、ジャンルや対象年齢に縛られることなく並べられているのも、ニュートラルに本に触れ、気の赴くまま興味を広げていくきっかけになるのです。
階段下のスペースは小さな子どもに人気。本に囲まれた秘密基地のような空間です
棚の上の方に表紙を見せてディスプレーされている本は「手に取ってみて!」と呼びかけてくるかのよう。閲覧用の同じ本を手が届く低い本棚に配架し、目に留まった本を簡単に手に取れるように工夫。興味や関心を制限されないからこそ、見る人が素直に、そして自由に、本が生み出す世界に没頭できるのです。
ご自身も本に触れることが大好きだという前川さん。大好きな本に囲まれて過ごすことが幸せだといいます。たっぷり収納できる丈夫な本棚が自宅にあれば、読みたい気持ちを我慢することなく、好きなだけ読書に浸ることができます。また、クリスマスやお正月など季節の絵本を本棚に飾って楽しむのもおすすめ。「おうちでも、表紙が見えるように絵本を本棚にディスプレーして、アートのように飾ることができます。家族で一緒に飾りつけるなど、コミュニケーションのきっかけとして楽しんでください」
1階と2階、2階と3階をつなぐ大階段のスリット状の窓からは堂島川の景色が見えます
大阪の中心地から芸術文化を発信
360度本に囲まれた円形の部屋は、天井から一筋の光が差し込む特別な空間。本棚に浮かぶ「言葉の彫刻」が、本来なら本を開かないと出会えない世界へ視覚から誘います
館内には、本の検索機や貼り紙が一つもありません。これはコミュニケーションを重視する館長の、来館者に自由に楽しんでもらうための工夫なのだとか。「なにかあれば気軽にスタッフに声をかけてもらえたら」。柔らかなグリーンのユニフォームに身を包んだ「森人(もりびと)」と呼ばれるスタッフは、子ども達への読み聞かせも行っています。
読み聞かせは、子どもが文字を追う必要がなく、絵に集中できるため、絵本の世界に没入しやすいという利点があります。コツは上手く読もうとしないこと。あえて感情を込めずに淡々と読むことで、聞き手が自由に想像し感じ取れるようになります。「森人が読み聞かせをしている間、保護者の方は自分の時間を楽しんでください。大人も童心に帰って読書にふける時間があってもいいですよね」
「森人」による読み聞かせ。常時館内を巡回しているので、気軽に話しかけて
読み聞かせ以外にも館内イベントは多数実施されています。スタッフ達がアイデアを出し合い、おはなし会や絵本作家とのセッションなど、さまざまな行事を企画。今後は文楽やクラシックなどともコラボレーションしたイベントを構想中なのだとか。本の世界を介した新たな芸術文化との邂逅(かいこう)や、人と人とのコミュニケーションをぜひ楽しんでほしいと前川さんはおっしゃっていました。
読書の合間に窓から川を眺めることも。館内の家具はすべてあたたかみを感じさせる木製のもの
安藤建築の特徴であるコンクリート打ち放しの外観。緑に映え、中之島の景色になじみます
青いリンゴが象徴する未来への夢や希望
子どもの頃の読書体験は、大人になった後もかけがえのない思い出として、私達の人生を彩ります。本をめくることで、忘れていた子ども時代の記憶や思い、憧れがよみがえる経験をした人も多いのではないでしょうか。エントランス・ポーチで来館者を迎える青リンゴのオブジェはその象徴。「永遠の青春」と名付けられ、いつまでも熟すことなく、青いまま青春を走り続けることの大切さを表しています。子ども時代の失敗を恐れない挑戦心や、夢を諦めないたくましい心…。未熟だけれど希望に満ち溢れていた頃の記憶を忘れずにもち続けてほしい。そんな願いがこの青リンゴに託されています。
子ども達が、10代20代、果ては100歳になって再び訪れた時、初めてこのリンゴに触れた時を思い返すでしょう。その純真で新鮮な記憶の中に、未来への希望を見出すことを願っています。青リンゴを見て何を感じるのか。答えは訪れた人だけが見つけられるはずです。人の数だけ楽しみが見つかる「物語の聖地」で、運命の一冊に出会ってみませんか。
大きな青リンゴのオブジェ。いつまでも「青春」を生きてほしいとの願いを込めた安藤忠雄氏のデザイン
PROFILE
前川 千陽さん(まえかわ ちはる)
こども本の森 中之島 館長。三田市立図書館、豊田市中央図書館など、さまざまな図書館での館長を務めたのち現職。「子どもが大きくなっても帰ってきてくれるような、中之島で愛され続けられる施設にしたいです」
取材撮影協力
こども本の森 中之島
〒530-0005 大阪府大阪市北区中之島 1-1-28
TEL:06-6204-0808
https://kodomohonnomori.osaka/
※混雑が予想されるため、当面の間、入館には事前予約が必要です。
※撮影は安全に配慮して行いました。
2020年11月現在の情報となります。