木と対話し、美しさや特性を余すところなく生かす家具づくりに生涯を捧げた
世界的な木工家具作家ジョージ ナカシマ。
彼のものづくりの背景には、自然や木への深い尊敬と愛情がありました。
自然の樹形をそのまま天板に生かした無垢材のテーブルや、2本足で絶妙のバランスをとるチェア。木のぬくもりが伝わるこれらの家具に、インテリア好きな方なら一度は興味を持ったことがあるのではないでしょうか。手掛けたのは、木工家具作家ジョージ ナカシマです。
彼は日本人の父母の元、1905年ワシントン州に生まれました。少年時代にはボーイスカウトに所属し、最上位の階級であるイーグル(鷹)の称号を得るほど熱中しました。仲間とともに山川に親しんだこの時代、自然が育んだ木の価値を肌で学び取ったのかもしれません。
長じてはワシントン大学で森林学と建築学を学び、首席で卒業したのち、マサチューセッツ工科大学で建築学修士号を取得。世界中を放浪後に父母の故郷である日本を訪れて、アントニンレーモンドの建築事務所に就職し、日本国内や赴任先のインドで活躍しました。
ところが当時の世界情勢は厳しく、世界大戦間近の様相を呈してきました。東京で出会い、後に妻となるマリオンとともにアメリカに帰国すると、ほどなくしてアメリカが参戦。ナカシマは他の日系人同様、強制収容所へ送られることになります。
戦争がもたらした悲劇的な出来事ですが、ここで運命の出会いがありました。同じ日系人の大工から、日本の伝統的な木工技術や道具の使い方を学んだのです。
約1年後に収容所を出ると、新天地ペンシルヴェニア州ニューホープへ一家で移住。ナカシマはデザインから製作まで全てを自身で統合できる木工家具づくりに心血を注ぐようになりました。
ニューホープでは広大な土地を手に入れ、森の中に住まいや仕事場、ショールームや貯蔵庫を自ら設計、建築。擬円錐形の屋根が特徴的な工房「コノイドスタジオ」や芸術会館「ミングレン会館」などを建てたのもこの土地です。仕事と生活の統合を目指し、未開の地をほとんど家族の手だけで切り拓いたジョージ ナカシマは、〝日本人〞としての誇りと反骨精神に支えられた開拓者でもありました。
ニューホープの敷地内に自身で建てた「ミングレン会館」。その名前は「讃岐民具連」に由来する(©H.Amemiya)
100年生きた木は、切られてもなお100年生き続けると言われています。ジョージ ナカシマは人間よりもはるかに長く生きてきた木の生命に敬意を払い、家具づくりにあたって「木から始めること」「木を知ること」「木のこころを読むこと」「木と対話すること」を常に念頭に置いていました。
巨木に生じる空洞や割れは自然が生んだ意匠であり、神が与えた個性。その美を一片も無駄にせず生かす次の場所を見つけたいと考えたナカシマ。いつの日か彼は、自身を木匠(ウッドワーカー)と称するようになりました。
家具として人の生活の場で生き続ける無垢の木は、年月とともに「あばれる」と言います。これは多少の反りやズレが生じるという意味。日々使うことで生じる傷や色の変化も含め、家族が使い続けてきた証として愛おしんでほしいとナカシマは考えていたのかもしれません。
建築的な構造を応用しているのもナカシマの家具の特徴です。斜めに伸びた2本の脚でバランスをとるコノイドチェアは、片持ち梁構造を用いたデザイン。発表当時は不安定さを懸念する声もありましたが、実際の破損率は低く、構造と素材の耐久力が証明されました。またクロスレッグテーブルは、その名の通り一対の交差する脚で支えるトラス構造で、初期の傑作と言われています。
ナカシマはブックマッチという工法も好んで用いました。1本の丸太から切り出した2枚の板を本の見開きのようにつないでテーブルの天板などを作る方法です。左右対称の木目が美しく、天板が薄くなるため軽さや使い勝手の面でも秀でます。
また、日本の伝統建築に使われる契り(木の接合部材)を家具にはじめて用いたのもナカシマでした。建築において表に見えないように使われる木の部材の美しさを見いだし、デザインの一部として用いたのです。
上:建築に使われるトラス構造を応用したクロスレッグテーブル
下:ブックマッチと契りが特徴的なミングレンII ローテーブル
ラウンジ アーム
コノイドチェア
家具作家の地位を確立しつつあった1960年代後半、ナカシマはアメリカの要人から広大な別荘の家具づくりを請け負いました。ナカシマ作品の和の意匠にふさわしい和風建築の設計は、レーモンド建築事務所時代の同僚であり、昭和を代表する建築家である吉村順三が担当。施工にあたっては、日本から千本を超えるヒノキと、宮大工の集団が海を渡りました。
この別邸が迎賓館として使われたことから、世界中のセレブリティがナカシマの家具の素晴らしさに触れ、同時に日本文化の奥深さを知ることになりました。こうした功績が讃えられ、ナカシマは後年、日本政府から勲三等瑞宝章を授与されます。生涯に与えられた数々の賞の中で、この受章が最もうれしかったと語ったそうです。
ジョージ ナカシマは友人の彫刻家・流政之の紹介で、1964年香川県高松市を訪れました。当時の高松市では、地元のデザイナーたちが結成した「讃岐民具連」を中心に、伝統的技術を生かした地方独自の新しいクラフト商品を作ろうという機運が高まっていました。ナカシマはこの取り組みに共感。自らも参加するべく、優れた木工技術をもつ桜製作所と協力して展示会向けの家具づくりを始めました。
ナカシマは桜製作所の職人に、木に接する姿勢や木工の理念を教えました。反対に、職人たちから高い木工技術を学んだナカシマは、彼らに尊敬の念を抱きました。1968年に東京で開催された「ジョージ ナカシマ展」は以降約20年間で8回に及び、家具愛好家や建築関係者に多大な影響を与えました。
栗林公園商工奨励館内に展示されたリビングセット。ローテーブルの中央には契りのアクセント
1990年、ジョージ ナカシマは85歳で永眠。現在も娘のミラが引き継いだニューホープの工房と、桜製作所では、木の命が息づく家具づくりが続いています。そして桜製作所が開いた「ジョージ ナカシマ記念館」では作品を一堂に展示し、木と対話し続けた偉大な家具作家の思いを伝えています。
桜製作所創業60周年を機に設立された「ジョージナカシマ記念館」には、貴重な作品がずらりと展示されている。家具の使い心地を実際に確かめることもできる
桜製作所での家具製作風景。今もナカシマの設計図面に忠実にライセンス家具を製作している
20世紀を代表するアメリカ国籍・日系二世の木工家具作家。1952年に米国建築家協会のゴールドメダルを受けるなど、世界的に名を知られる。1964年に香川県高松市を訪れ、讃岐民具連の職人らと親交を深めた。ナカシマの拠点となった桜製作所(木匠の魂を引き継ぐもの)では、家具作りの心構えを職人たちに伝えた。
ジョージ ナカシマ記念館 ご見学情報
開館時間/10:00~17:00(入館は16:30まで)
入館料/一般 500円 小中学生 200円
休館日/祝日、夏季休業、年末年始
住所/香川県高松市牟礼町大町1132-1
TEL/087-870-1020
取材撮影協力/株式会社桜製作所・ジョージ ナカシマ記念館
http://www.sakurashop.co.jp/
2017年5月現在の情報となります。