「日本の工業団地を輸出する」
-ベトナム・インドネシア工業団地開発プロジェクト-
海外へ進出する企業を支え、その国の経済成長の一助となろう。ベトナム、インドネシアで展開する工業団地には、
挑戦者たちの情熱があふれていた。
工業団地を東南アジアへ
企業が海外へ進出する時、その国に頼れる日本のパートナーがいれば、どれだけ心強いことだろう。企業のグローバル展開を支えるため、大和ハウス工業は今、ベトナムやインドネシアで広大な工業団地を開発している。日本と海外を行き来しながら指揮を執るのが、インドネシア・ベトナムプロジェクトリーダーの丁野だ。
2011年のある日、丁野は担当役員である常務執行役員の浦川から打ち合わせへの同席を命じられた。そこへ現れたのは、世界中でビジネスを展開する総合商社、双日だった。
「私たち双日と一緒にベトナムで工業団地をつくりませんか」。
大和ハウス工業内でも数年前から海外進出を模索していたが、東京の建築事業部で多忙を極める丁野にとって、自ら海外に乗り出すのは想定外のことだった。だが不動産開発から建設、ストックビジネスまで対応できる企業は、日本でも数少ない。その力を求められているのだ。
「やるしかない」。
丁野は腹を決めた。大和ハウス工業にとっても、海外進出なくしては将来の成長は望めないと使命感に燃えた。
ロンドウックに先駆けて
双日が開発したロテコ工業団地
人を巻き込む力
その日から、わずか4カ月後。大和ハウス工業と双日、環境プラントメーカーの神鋼環境ソリューション、現地企業ドナフーズを加えた4社は、ベトナム最大の商業都市ホーチミンの郊外に「ロンドウック工業団地」を設立することで合意した。総開発面積は270ha、東京ドーム約57個分の広さだ。
当時、人件費の安いベトナムに製造や物流拠点を構える日本企業が続出し、工業団地の土地の販売は順調に進んでいた。ところが、壁はその先にあった。大和ハウス工業は、施設の建築を請け負うのが仕事だ。にも関わらず、誘致に成功し、いざ工場や倉庫を建てる段階になると、海外での実績の少なさを問われた。丁野が自負する高い技術力も日本で培った経験も、なかなか受注につながらなかった。
「苦労しましたね。その困難をはねのけて、ここまでやってこられたのは、いろんな方の力を借りることができたからです」。共に事業を推進する3社はもとより、社内の人脈、社外の専門家からも協力を得て、一歩ずつ実績を積み重ねた。
ダイワハウスベトナムのスタッフ
必要とされる存在に
2012年には世界4位の人口を擁するインドネシアに進出。首都ジャカルタの近郊で、現地の不動産開発会社アルゴ マヌンガル ランド ディベロップメントと共同で総開発面積1,350haに及ぶ「ダイワ・マヌンガル工業団地」の開発をスタートした。
軌道に乗り始めた頃、急激な円安が日本経済を襲い、企業の海外進出が鈍化した。海外事業の芽をつぶさず、現地従業員の雇用を守るためにも「円高円安に関わらず、事業採算がとれるビジネスモデル」を追求しなくては。その一策として、ベトナムで新たな柱となるのが、企業が初期投資を抑えながら海外進出できるレンタル工場だ。
さらにインドネシアでは物流インフラの需要が高まると読み、マルチテナント型賃貸物流センターの開発に着手。「契約トラブルが頻発する海外では、日本企業の当社が関わっている安心感が非常に大きいようです」。日本から持ち込んだ先駆的な事業スキーム「Dプロジェクト」は、海外の企業からも注目されている。必要とされている確かな手応えを感じた。
団地の現地事務所
あきらめない、立ち止まらない
事業は好調に推移しているが、丁野の目標はまだ先だ。簡単じゃないとは思っていた。でも、あきらめはしない。汗にまみれ、歯を食いしばり、なぜ丁野は前へ進み続けるのか。
そこには、先輩や部下と共有する信念があった。「俺たち以外に海外事業を拡げていける者はいない」。机3台がやっとの事務所から出発した。今も厳しさは変わらない。それゆえ、良い意味での勘違いが自分たちには必要なのだ、と丁野は笑う。
あきらめを己に許さない理由が、もう一つある。現地で見た人々の苦難だった。
「ここには仕事がなくて働けない人、食べ物すら手に入らない人がいる。僕らが一つでも多く建築し、事業を興せば、それが彼らの雇用につながる。この国にとっても必ずプラスになるはずです」。彼らの過酷さを思えば、日本での仕事の悩みなんて、ちっぽけだった。海外に飛び出したことで、丁野をはじめとする皆が世界を見つめるベンチャー精神を養った。その姿は、社会の課題を解決するため、わずかな仲間と大和ハウス工業を創業した挑戦者たちとオーバーラップした。
今はまだ山の1合目にすぎないと丁野は言う。大和ハウス工業が世界で果たすべき使命は、とてつもなく大きい。だからこそ登りがいのある山なのだ。
工場の建築現場
※掲載の情報は取材当時のものです。